前章では、ブランドとして今後目指すべきカスタマージャーニーから逆算して、ブランド体験を最適化するという、顧客のカスタマージャーニーを自社ブランドに向けて「進める」戦略立案を説明してきました。本章では逆に、いかに顧客のカスタマージャーニーを止めないか、という顧客の離反や流出、競合へのブランドスイッチを防止する「リテンション策」の立案について解説していきたいと思います。「ジャーニーを止めない為のインサイト」でも触れましたが、いくら潜在顧客を獲得しても、購買まで導く前にそのカスタマージャーニーが停滞したり、他のブランドに流れてしまったりしては意味がありません。従って、顧客を獲得してそのカスタマージャーニーを促進するという施策と共に、カスタマージャーニーを止めない、逃さない為の施策を同時に考えていく必要があります。
アプローチとしては、まずカスタマージャーニーのどの部分で、どのような問題が起こっており、その結果どの位の規模の潜在顧客を逃しているのかという診断を行います。次に問題の原因となっている顧客の課題を解決する施策を打つ事で、カスタマージャーニーからの離反や流出を食い止めます。
カスタマージャーニーの診断 – ファネル分析との違い
まず、「カスタマージャーニーのどこにどんな問題が起きて顧客を逃しているか」を把握する為、ターゲット層のカスタマージャーニーの診断を行います。診断には「データドリブンでカスタマージャーニーマップを作成する」で作成したターゲット層の統合カスタマージャーニーマップから購買行動モデルを作成し、そのモデルを利用します。このモデルは各段階が統合カスタマージャーニーで設定したKPIで置き換えられた、多段階の階層モデルです。一般的なファネル分析で用いられるパーチェスファネルをイメージして頂いて問題ありません。ただしファネル分析で終わらず、原因と課題解決策まで突っ込む事が大切です。
通常のファネル分析(いわゆる、歩留まり率の計算)を行えば、「どの段階で、どれ位の潜在顧客を逃しているか」という事実を確認する事は出来ますが、「離脱をどうしたら防げるか?どうすれば歩留まりを解消できるか?」を考えるには現状把握では不十分です。しかし、ジャーニー上で起きている問題とその原因がプランニングの段階で分かっているのなら、そこからバックキャストで問題の原因にアドレスし、問題を解決ないしは回避させるコンテンツや情報を用意できます。その為には、ファネルに残っている顧客ではなく、離脱・離反してしまった顧客のカスタマージャーニー通して、その根本原因まで診断する必要があります。また、離反客、停滞客のカスタマージャーニーには、「離反、停滞後の行動」が描かれます。そこには、離反や停滞の原因を解決する為のヒントが隠されています。一度はブランドやブランドのUSP、当該カテゴリの便益に興味を持っていたのですから、何らかの課題感は持っていたわけです。それを離反客や停滞客がどのように解決したのかを探る事ができるからです。
実際の購買行動プロセスに即したモデルで診断を行う
カスタマージャーニーの診断において、第一義的に重要なのは、商材のリアルな買われ方・選ばれ方を表した購買モデルを使う事です。さて、消費者行動論という学問領域があります。態度、記憶、知覚、認知、動機、感情、意思決定など様々な切り口で消費者行動を説明しようとする学問で、近年改めて実務家から注目されている領域です。理論の体系化がなされると共に様々な消費者行動モデル、態度変容モデルが提唱されてきました。「カスタマージャーニーの教科書」も、基礎理論の部分はこの学問領域で論じられてきた理論体系に沿って構築されています。しかし、現在の消費者行動をカスタマージャーニーベースで解き明かすにあたり、ベースとなる購買行動プロセスや態度形成プロセスは消費者行動論から拝領しつつも、探索的なアプローチを余儀なくされています。
それは、各ブランド各ターゲットに、データドリブンで探索的に行動プロセスをモデリングする必要があるという事です。これは、購買行動や態度変容のプロセスはブランドごと、ターゲットごとに異なり、かつ消費者個人の異質性が著しいスピードで多様化、進化しているからです。その為カスタマージャーニーNAVIでは、ブランドの買われ方や選ばれ方についてデータドリブンのカスタマージャーニー先行型で仮説を作り、帰納的に消費者行動論で理論的妥当性を与える、というアプローチを提唱しています。つまり、現在の多様化したモノの買われ方や選ばれ方を実務で使えるレベルの行動モデルに落とし込む為に、カスタマージャーニーをデータとして集めて分析・統合し、その解釈に消費者行動論の知見を用いるという方法です。AIDMA、AISAS、SIPSなど既存のモデルは、現ブランドの購買行動プロセスに採用する事が妥当であると判断できた場合に用いるべきです。現実の購買行動を知る前に与件としてあてはめてしまうと、実際の購買行動の重要な局面を見落とす事になりかねません。
問題類型(どんな問題か)と優先順位づけ
さて、一口でカスタマージャーニー上の問題を診断すると言っても、問題の性質により幾つかの類型に分類されます。「カスタマージャーニーの教科書」では、様々な商材・サービスのカスタマージャーニーの分析を通してよく観察される問題を以下の3パターンに分けています。即ち、
1 カスタマージャーニーの停滞
2 カスタマージャーニーからの流出
3 競合ブランドへのスイッチ
です。商材が何であれ、最低この3つの切り口で診断する事を推奨します。
「カスタマージャーニーの停滞」とは、カスタマージャーニー上の同一フェーズに留まり続けて次のフェーズに進めていない状況や、フェーズ間を行ったり来たりしている状況を指します。何か迷っていたり、疑問が解決したと思ったら次の疑問が出てきて、思考がループしている状態です。また、情報が足りなくて納得いく理由や決め手を探している場合や、逆に情報過多で判断材料が多すぎる状態の顧客もこの問題類型に陥る傾向があります。「カスタマージャーニーからの流出」とは、ブランドのカスタマージャーニーから完全に離脱してしまっている状況です。その商材カテゴリ自体への関心が薄れたり、もういらないと思われている場合に起こる問題類型で、いわゆる休眠顧客の状態です。不安要素が強すぎた場合や停滞期間が長すぎた場合などに起こります。また、顧客のライフステージや生活環境の変化(卒業や就職、結婚など)による成長によって起こるケースもあります。
「競合ブランドへのスイッチ」は、自社ブランドのカスタマージャーニー上でスイッチポイントが発生し、そのまま競合ブランドへ飲み込まれた場合を指します。一義的にはカスタマージャーニー上のある時点で、競合のUSPの優位性が自社のUSPを上回るというポジショニング論に依るケースが多いですが、それ以外にも様々なケースが考えられます。リテンション上懸念すべきは、「同様のUSPを謳った新製品の初動で負けた場合」と、ロングテールで「徐々にリピーターが奪われている場合」です。これらのパターンが観測された時は、そのケースに該当するカスタマージャーニーで自社ブランドの価値がどう低下しているのか、競合ブランドの価値が生活文脈でいかに強く顕在化したのか、を探る事が重要です。
カテゴリーリテンションとブランドリテンションの視点 再考
カテゴリーリテンションとブランドリテンションの両方の視点から診断することで、より包括的にブランドの機会損失を防ぐ事ができます。カテゴリーリテンションとは、当該製品カテゴリからの離反や流出、興味消失を防ぐ事です。せっかく潜在需要を掘り起こして顕在顧客としても、自社ブランドが選ばれる前や見込み客になる前にカスタマージャーニーが止まってしまっては、元も子もありません。また、ブランドで顧客を新規獲得しても流出していく客数の方が多ければ、いずれ顧客リストは枯渇してしまいます。例えば、TVなら自社ブランドを選んでもらう前に「TVを買うコト」自体が停滞すれば、当然自社ブランドの購買は発生しません。この場合は自社商品のセリングより、リスニング、つまり消費者の知りたい事や気になる事について情報を提供し、当該製品カテゴリにおけるカスタマージャーニー自体を保持する事が必要です。コンテンツマーケティングが得意とする領域です。
ブランドリテンションは、自社ブランドからの離反や流出、興味消失、競合スイッチを防ぐ視点です。一旦ブランドの見込み客になってから、興味をなくしたり、競合へスイッチしてしまった顧客のカスタマージャーニーを分析し、その理由や原因を明確にしてそれを回避、解消、解決する施策を開発します。同じ施策に接触し、そのまま購買した顧客群とブランドスイッチした顧客群のカスタマージャーニーの比較も役に立ちます。カスタマージャーニーの群間比較で、ジャーニー上どこまでが同じでどこからが異なるのか、という分岐点を見つけ出します。
また、ブランドリテンションでは「購買後のカスタマージャーニーにおける、ロイヤル化のボトルネック」を探す事も有効な打ち手になる場合があります。一度トライアル購買はしたが、その後ブランドロイヤルにならなかった理由は何なのか、を購買後フェーズのカスタマージャーニーを精査する事であぶりだすわけです。例えば購買前に持っていた期待と実感のギャップによる認知的不協和が起こっていたのかもしれません。使用実感のギャップはなくとも、USPの理解や腹落ち感が十分でなかった為、生活ゴト化、つまり習慣化には至らなかったのかもしれません。このボトルネックの所在により、リテンション施策がどのようなインサイトに立脚すべきか異なってきます。
リテンションにおけるパーセプションチェンジとブランドの果たすべき役割について
リテンションデザインにおいても、ブランド体験デザインと同様に、現状の認識を変化させる事で潜在顧客のカスタマージャーニーの停滞、流出、ブランドスイッチを防止します。ただし、ブランド体験デザインではブランドのUSPを生活上の価値として認識してもらうストーリー構築に主眼が置かれたのに対して、リテンションデザインでは顧客がカスタマージャーニー上で遭遇する個別具体的な「問題」や「課題」の解決に主眼が置かれます。つまりリテンションデザインでは、顧客の課題解決、「消費者がこう困っているからこうする」という価値提案を対症療法的に行うことが、ブランドの果たすべき役割となります。パーセプションチェンジの構造も基本的には同じですが、
となります。プロポジションが、カテゴリーパーセプションをブランドに有利なパーセプションに変化させる「ブランドからの提案」という意味では同じです。しかしリテンションデザインの場合、カテゴリーパーセプションは「当該カテゴリに対して生活者が感じている課題、不安や疑問、不都合、諦め、関心の薄れ等の認識」という意味となり、ブランドパーセプションは「カテゴリーパーセプションをブランドが解決してくれる、と顧客が納得している状態」という解釈になります。つまり、「現状の課題と、ブランドからの解決提案」という関係性になります。
”価値提案の価値”の予測2 – ブランドの機会損失を数値化(人数換算、金額換算)する
潜在顧客はカスタマージャーニー上で、実に多岐多様な問題に直面します。その中には確実にジャーニーをストップさせてしまうものから、悩みではあるが停滞や離脱、流出に直結するほどの事もない問題もあります。当然全ての人の全てのジャーニーにおける問題に対応する事はできませんから、優先順位を付けて対応することになります。リテンションにおいても「解決する価値のある問題を解決する」という原則に基づき、その問題を解決することで、相応規模の潜在顧客のカスタマージャーニーの停滞や離脱、流出を防ぐ事のできるポテンシャルのある問題」を見極めて対応していくことが重要です。
解決する価値の大きさは、その問題によりどれだけの「ブランドの機会損失」が起こっているか、で測定します。繰り返しになりますが、カスタマージャーニーで言う価値とは、変化の事です。そしてリテンションデザインの場合は、何もしなければカスタマージャーニーが停滞、流出、もしくは競合にスイッチしてしますという状態から、ブランドの機会損失となっていた潜在顧客の課題を解決して自社ブランドのカスタマージャーニーに留まらせる、という変化を指します。従って、カスタマージャーニー上、特定の原因で落ちている潜在顧客の人数が「ブランドの機会損失推定値」になり、この人数が多いほど優先的に解決すべき問題という事になります。
解決すべき問題が決まれば、次はそれを解決する為のプロポジションを複数用意して、それぞれのプロポジションの解決力を予測します。プロポジションは、ブランド側の提案を、生活文脈における価値に変換しブランドに有利な認識や期待を創りだす翻訳機です。リテンションデザインでもこの役割は変わりませんが、価値提案の焦点は「その提案により、どれだけブランドの機会損失を防げるか」という所に置かれます。リテンションデザインにおけるプロポジションのドライバー力は、3つの問題類型に従い以下の予測により推定します。
●何人のカスタマージャーニーの停滞を解消できるか
●何人のカスタマージャーニーからの流出を防止できるか
●何人のブランドスイッチを食い止める事ができるか
ドライバー力が高い提案ほど、多くの顧客の潜在顧客を自社ブランドのカスタマージャーニー内に維持できる(ブランドの機会損失を防げる)事を示します。
<8章 ブランド体験デザイン ブランドが果たすべき役割と体験価値の設計
10章 ストーリーデザイン 行動を生む情報価値の設計とストーリー開発>
3章カスタマージャーニーの定義、及び類似概念との相違点、注意点について
5章カスタマージャーニー設計におけるゴール設定 – 成果指標と中間指標(KGI、CSF、KPI)
7章ブランドが目指すべきカスタマージャーニーの設計と認識変化
8章ブランド体験デザイン ブランドが果たすべき役割と体験価値の設計
9章リテンションデザイン 顧客の離反、流出、競合スイッチ防止
10章ストーリーデザイン 行動を生む情報価値の設計とストーリー開発