さて、ここまではカスタマージャーニーの有用性や特徴、裾野の広さ、応用可能性などについてざっくりと紹介してきました。本章では、カスタマージャーニー周りのキーワードや概念の定義を行っておきます。同時に、類似概念との関連性と相違点、他の戦略論との繋がり、及びそれらに係る実務上の注意点について触れておきます。
現状のカスタマージャーニーと、あるべきカスタマージャーニーの違い
まず、カスタマージャーニーは顧客の行動/パーセプションの動きを表す「動線」です。そして、”カスタマージャーニー”と言った時「現在の顧客の行動動線」の意味で使われている場合と、「今後ブランドが目指すべき、ブランドにとって理想的な行動動線」という意味で使われている場合があります。この2つはよく混同されます。「カスタマージャーニー」という単語を見聞した時、次のどちらを指しているのか注意して下さい。
1)現状のカスタマージャーニー
2)あるべき(今後ブランドが目指すべき、ブランドにとって理想的な、ブランドが実現したい)カスタマージャーニー
まず、1)現状のカスタマージャーニーは実際に現状で起こっている事実としてのカスタマージャーニーです。従ってそこに記述される内容もファクトベースとなります。ワークショップなどを通してカスタマージャーニーマップを作る方法を解説したWebコンテンツやサービスがありますが、それらを利用する時はこの点に注意して下さい。現状のカスタマージャーニーはデータドリブンで作ります。あるべきカスタマージャーニーはブランドドリブンで作ります。
現状のカスタマージャーニーは、机上の作業やワークショップなどを通して頭で想像して描くものではなく、データから見つけ出すものです。現状のカスタマージャーニーはいわば、現状の事実としての「行動や態度、感情、接触媒体などの購買行動データ」をカスタマージャーニーという型に沿って記述したものです。従って、元データなしで生み出せるものではありません。データドリブンでないカスタマージャーニーは、思考ツールや仮説としては構いませんが、実際の購買行動プロセスを反映している根拠がない為、マーケティング戦略に使用するには問題があります。逆に後者のあるべきカスタマージャーニーの方は、ブランドアイデンティティやブランドフィロソフィー、もしくは企業のビジョンやミッションから天下って”ブランドドリブン”に作成します。勿論その時もデータが役に立ちます。これについては、後のパーセプションチェンジデザインの章で詳述します。
動線設計と導線設計の違い
時々「ターゲットに最適なカスタマージャーニーを提供する」や「ターゲットにカスタマージャーニーをあてはめる」という表現を目にします。厳密に言えば、企業が提供するのは”施策”です。カスタマージャーニーは直接的に提供したり顧客に当てはめるものではなく、提供されたブランド体験を通じて顧客のパーセプションや問題意識、ニーズ、理想体験、購買行動、購買後行動などが変化し、結果的にマーケットに顕現するものです。従って、カスタマージャーニーを軸にしたマーケティング戦略は、
1 まず、「ブランドが今後実現すべきカスタマージャーニー」を決める。
2 次に、そのカスタマージャーニーを実現する為に必要なブランド体験と施策与件を設計。
3 続いて、各顧客接点において実施する施策の具体的内容の設計。
つまりコンテンツやクリエイティブ、ストーリーテリングなどの準備。
という順で進めます。これは丁度、動線設計と導線設計の違いです。「ブランドが今後目指すべきカスタマージャーニー」は、ブランドにとって理想的な(そうなってもらいたい)「顧客の動線」設計です。それに寄り添い、それを実現する為のブランド体験や媒体編成などは、目指す理想的な動線を実現する為に提供する「施策による導線」設計の問題です。
また、カスタマージャーニーマップと謳いつつ、クロスメディアや媒体編成など、企業側の打ち手(広告)が主語になっているものもよく見かけますが、カスタマージャーニーマップではありません。それは媒体計画をカスタマージャーニーの様に表現しただけで、本質はメディアプランです。メディアプランはカスタマージャーニーではありません。むしろカスタマージャーニーという動線に影響を与えている、「導線」側の話です。
これは導線設計が必要ないと言っているのではありません。動線設計が最初で、それに合わせて導線設計を最適化するべきというロジックです。動線設計については、パーセプションチェンジデザインで、導線設計についてはブランド体験デザイン、ストーリーデザイン、メディアプランデザインなどの章で、それぞれ詳しく解説します。
カスタマージャーニーマップとカスタマージャーニーの違い
「カスタマージャーニーマップを作る」事と、「カスタマージャーニーを作る」事は全く別なので、こちらも表現に注意してください。「カスタマージャーニーマップを作る」といのは、カスタマージャーニーを紙上に書き出す事を指します。机上の作業です。
「カスタマージャーニーを作る」とは、現状のカスタマージャーニーを、ブランドにとって有利なカスタマージャーニーに変化させる事を指します。つまり、顧客の現状のパーセプションや購買行動をブランドにとって有利に変化させるブランド体験を企画・設計し、具体的な施策に落とし込み、実行する事で、ブランドにとって有利なカスタマージャーニーを市場に創り出す事です。従って本来「カスタマージャーニーを創る」と表現した方が正しいでしょう。マーケティング実務です。
もちろん現状のカスタマージャーニーをカスタマージャーニーマップで把握する事は、カスタマージャーニーを創る事のスタート地点となる重要な作業です。次章では、データドリブンで様々なターゲットのカスタマージャーニーマップを生成するアプローチを解説します。
カスタマージャーニーで統合する様々なコミュニケーション戦略
ゴールを実現するためのアプローチが戦略です。最もシンプルに言えばマーケティング戦略とは、どう人を動かすかという「ロジックの型」です。ブランド論、ポジショニング論、IMCなど、現在のマーケティングコミュニケーションには幾つかの”型”が存在します。カスタマージャーニーも戦略的アプローチの1つですが、他のコミュニケーション戦略が「どう動かすか」という視点で語られるのに対して、カスタマージャーニーは「どう動いているのか」という生活者の動きそのものです。つまり、カスタマージャーニーは生活の中におけるブランド体験やUSP、顧客接点、メディアとその価値を、生活文脈の中で把握するプラットフォームと考える事もできます。カスタマージャーニー自体は、何らかのマーケティング戦略論に特化したものではないため、工夫次第で他の戦略視点をフレキシブルに組み合わせ、取り込む事ができる裾野の広さを持っています。また、近年注目を集めているマーケティング手法を組み込み応用する事も可能です。むしろ、他の戦略視点との相乗効果が期待できるものが多数あります。最たる例が、ストーリーテリング、コンテンツマーケティング、ナーチャリング、ダイレクトマーケティングで用いられる実験、などです。以下では様々な戦略論とカスタマージャーニーの関係性、相互補完性、違いなどについて俯瞰していきます。
ブランド論とカスタマージャーニー
ブランド論では、ブランドアイデンティティ(らしさ)を記憶・感情レベルで生活者に残す事で、生活者とブランドの関係性を近づけ、ブランド価値の向上もしくは中長期的な関係性構築とLTVの最大化を狙います。その為に顧客の頭の中にあるブランドへの期待や認識を、ブランド体験を通して再定義、アップデートしていきます。これは常に時代や価値観の変化に合ったブランドとして進化、適応し続ける為にも必要です。カスタマージャーニーマネジメントでは、「現行のカスタマージャーニーを、どのようなブランド体験により、どう変化させていくべきか」というブランドが果たすべき役割を描いた設計図を描く作業に相当します。この時重要なポイントは、ブランドミッションを施策として具体化してカスタマージャーニー上の課題と関連付け、生活上の価値として認識されるようにブランドを解釈・翻訳する事です。この辺りの議論は<8章 ブランド体験デザイン ブランドが果たすべき役割と体験価値の設計>をご覧ください。
アカウントプランニング、ポジショニングとカスタマージャーニー
ブランドにとって理想的なカスタマージャーニーはビジョンやミッションからブランドドリブンで導くべきであるのに対して、そのジャーニーをマーケットに実現する為の個別具体的な価値提案については「いかに生活上の価値として認識してもらうか」に重点が置かれます。この時、スタート地点となるのがインサイトです。アカウントプランニングでは消費者インサイトを重視します。ポテンシャルのあるインサイトに基づいて製品やコミュニケーションを開発することで、ブランドが自分ゴト化されやすくなり、結果として生活者視点での価値として認識されやすくなります。これは、カスタマージャーニーからインサイトを抽出して、適切な施策やコンテンツに変換し、ジャーニーの適切なフェーズへ再展開することで、ジャーニーを促進もしくはジャーニーからの離反・流出を食い止める事に相当します。効果的なインサイトは、カスタマージャーニーが変化したポイントに着目する事で見つけやすくなります。詳しくは<6章 カスタマージャーニーベースのインサイト探索と価値算定>をご覧下さい。またポジショニング論では、機能ベースで競合ブランドと差別化を図り、自社ブランドに有利なポジションを築く事を目指します。これは、ブランドの差別化ポイントであるUSPをいかに価値として認識してもらい、購買動機を形成し、実購買まで導くか、つまり自社ブランドにとって最も有利な行動プロセスをいかに実際のマーケットに生み出すか、という問題として解釈されます。<7章 ブランドが目指すべきカスタマージャーニーの設計と認識変化>で構築手順を解説しています。
消費者行動論、パーチェスファネルとカスタマージャーニー
生活者の行動プロセスを表すという意味では、カスタマージャーニーと消費者行動論における行動モデルは類似している側面もあります。フィッシュバインモデルやELMなどが代表的でしょう。より実務に近いところではAIDMAやAISASなどが有名で、いわゆるファネル分析(顧客の購買行動をいくつかの段階で表し、各段階での脱落者数と歩留まり率を計算する)はこれらの購買モデルに沿って行われる事が多いと思います。カスタマージャーニーを診断する際もファネル分析は行いますが、利用するモデルは既存のモデルに頼らずその都度作成します。どういう事かというと、ターゲット層におけるブランドの購買パターンや離反パターンをデータから”浮き上がらせる”分析を行い、ブランドの現在の選ばれ方を代表する行動モデルをデータドリブンで設計、診断に利用します。行動モデルの設計やカスタマージャーニーの診断については、<4章 データドリブンでカスタマージャーニーマップを作成する>および、<9章 リテンションデザイン – 顧客の離反、流出、競合スイッチ防止>で詳述しています。
IMC、ストーリーテリングとカスタマージャーニー
さて、顧客接点や媒体編成の方に目を向けるとIMC論(Integrated Marketing Communications)があります。顧客接点を統合し、各顧客接点でブランドを体現することでカスタマーリレーションを強化し、購買まで効率的に導くという考え方です。これはメディアプランニングの実務においては、「顧客接点と情報コンテンツの組み合わせの最適化」と、「顧客接点間の組み合わせの最適化」という大きく2つのタスクに落とし込むことができます。前者は端的に言えば「どこで何をどう語るべきか」という問題です。ここで役立つのが、ストーリーテリングの技法に基づくコンテンツや情報開発です。ストーリーテリングのメリットは多くありますが、特にカスタマージャーニーの文脈で1つだけ挙げるとすれば、「情報価値を設計できる」という点です。つまり、「どの接点で何をどう語れば(伝えれば、提供すれば)、その接点で理想的な顧客体験を生むことができるか」を導き、最適なコンテンツをデータドリブンで制作することができます。この方法については、<10章 ストーリーデザイン -行動を生む情報価値の設計とストーリー開発>をご覧下さい。
メディアミックス、クロスメディア、費用対効果とカスタマージャーニー
IMCの実務における後者は、いわゆるメディアミックスやクロスメディアなどの媒体間導線の最適化の話です。先述したとおりカスタマージャーニーは生活者の実際の動きを表した”動線”です。それに対してメディアミックスやクロスメディアはいかにその動線に寄り添い、関係性構築に寄与し動線を効率的に促進する事ができるか、という”導線”側の問題です。そうすると、各媒体、各顧客接点の選択に加え、それら媒体や顧客接点の組み合わせの”良さ”が問題になってきます。カスタマージャーニーマネジメントでは、ここにダイレクトマーケティングで重要視される費用対効果の考え方を利用します。各媒体のカスタマージャーニーを進める力、各媒体とコンテンツを組み合わせた時のジャーニーを進める力、そして媒体間導線の組み合わせの費用対効果を解析すれば、カスタマージャーニーというプロセスを最も効率的に促進する事が期待できるメディアプランを組み上げる事ができます。具体的には、<11章 メディアプランデザイン カスタマージャーニーに寄り添う媒体計画>をご覧ください。
また、IMCでもカスタマージャーニーマネジメントでも、プロセスを管理するという側面は同じです。従って、プロセス管理の為のKPIの設定及び、プロセスの終着点であるマーケティングゴールの達成度合いを表すKGIの設定が肝要となります。カスタマージャーニーマネジメントにおいては、KGI、KPI設定に関して特に気を配るべきポイントがいくつかあります。これらののポイントは、<5章 カスタマージャーニー設計におけるゴール設定 – 成果指標と中間指標(KGI、CSF、KPI)>で詳しく見ていきます。
ナーチャリング、ダイレクトマーケティング、コンテンツ最適化とカスタマージャーニー
ジャーニープロセス管理のもう1つ重要な側面が、顧客育成です。これにはナーチャリングという考え方があります。コンテンツマーケティング等でよく使われる方法ですが、要はジャーニーを顧客育成プロセスとして見立て、ジャーニーのフェーズ(顧客の状態)や求めている情報などに応じてコンテンツを最適化し、コンテンツを中心に潜在顧客を購買客まで育成していこうという事です。データドリブンで作成するカスタマージャーニーマップには、顧客の情報ニーズが重要度順に記載されます。つまり、多くの顧客がそのジャーニーフェーズで求めている、もしくは求めているにも関わらず情報がない、その情報が分かれば次に進める等、情報ニーズが指標化されてランキングされます。それら代表的でかつ、解決する事でジャーニーを動かす事のできる情報ニーズに合わせてコンテンツをチューニングできれば、非常に効率的にジャーニーを進める事ができるでしょう。
ここまでジャーニー促進の視点でナーチャリングを解説しましたが、本来顧客の育成は、獲得(促進)する視点と、維持する視点の両方から行うべきです。それがダイレクトマーケティングにおける、アクイジション(新規獲得)とリテンション(顧客維持)です。カスタマージャーニーマネジメントではそれぞれ、アクイジションジャーニー、リテンションジャーニーと呼びます。アクイジションジャーニーは、<7章 ブランドが目指すべきカスタマージャーニーの設計と認識変化>で解説しているブランドが目指すべき理想のジャーニーであり、ブランドが顧客に辿ってもらいたいメインルートです。それに対してリテンションジャーニーはメインのルートから外れないよう、競合に流れないよう、停滞しないよう補助をするジャーニーで、<9章 リテンションデザイン – 顧客の離反、流出、競合スイッチ防止>でその設計手順を解説しています。先述のカスタマージャーニーに寄り添うメディアプランの技法と併せれば、最適なタイミング、最適な顧客接点で、最適なコンテンツを根拠を以って提供するロジカルなシステムが構築できます。
コンテンツマーケティング、コンテンツの組み合わせ/接触順の最適化とカスタマージャーニー
IMC論のパートで、媒体間導線という概念を紹介しましたが、カスタマージャーニーを軸として行うコミュニケーションではそれに加えて、情報間導線(コンテンツ間導線)というものを考えます。情報間導線は、コンテンツマーケティングにメディアニュートラル(目的に合わせて、あらゆるメディアや顧客接点を組み合わせる。Through the Line)の考え方を組み合わせた考え方と言えます。まず、カスタマージャーニー上の各フェーズで顧客が求める情報がありき、と考えます。次にその情報を、ジャーニーを動かす視点でコンテンツやクリエイティブとして開発します。そしてそれらをどの媒体、顧客接点でストーリーテリングするのが一番カスタマージャーニーに寄り添い、動かす事ができるかという予測を行います。つまり、コンテンツの内容、コンテンツの組み合わせ、媒体の組み合わせ、そしてコンテンツと媒体の組み合わせを同時に最適化します。言い換えると、媒体とコンテンツ(クリエイティブ)、ストーリーがセットになった「ブランド体験」を1単位として考え、ブランド体験間の接触順番と組み合わせを最適化するわけです。これについては、<10章 ストーリーデザイン -行動を生む情報価値の設計とストーリー開発>の後半で解説しています。
実験・予測とカスタマージャーニー
ダイレクトマーケティングからはもう1つ重要な手法を応用します。それが「実験」です。WebマーケティングやダイレクトマーケティングのABテストに代表されるように、施策やコンテンツを複数パターン用意しておき、カスタマージャーニー上で小規模な実験を行います。どのパターン、もしくはパターンの組み合わせが、カスタマージャーニー上で狙った認識の変化やブランドへの態度変容、購買行動などの直接的な反応をもっとも高く喚起する事ができるか検証し、最も効果の高い施策を選択、スケール化します(このカスタマージャーニー上の変化の予測実験には、カスタマージャーニー特化型の自然言語処理アルゴリズム【Napierglyph】が使われています)。
4章 データドリブンでカスタマージャーニーマップを作成する>
3章カスタマージャーニーの定義、及び類似概念との相違点、注意点について
5章カスタマージャーニー設計におけるゴール設定 – 成果指標と中間指標(KGI、CSF、KPI)
7章ブランドが目指すべきカスタマージャーニーの設計と認識変化
8章ブランド体験デザイン ブランドが果たすべき役割と体験価値の設計
9章リテンションデザイン 顧客の離反、流出、競合スイッチ防止
10章ストーリーデザイン 行動を生む情報価値の設計とストーリー開発