2021/12/22
著者:芹澤 連
「STP」の落とし穴
マーケティングの入門書などにはよく、STPの順番で戦略を考えましょうといったことが書かれています。市場を何かしらの軸で分けて(S:セグメンテーション)、狙うべき客層を見つけ(T:ターゲティング)、その顧客層にとってブランドが価値として認識されるように施策内容を決めていく(P:ポジショニング)という流れですが、実務ではいくつか落とし穴があります。
<STPの落とし穴>
●そもそも獲得できない消費者をターゲットしても意味がない
●獲得できる消費者層と、できない層の見分けがつかない
●市場を分けてターゲットを絞っても、どうしたら獲得できるのか分からない
獲得できない消費者をターゲットしたり、インサイトを分析しても意味がない
従来のSTPは、市場を何かしらの軸で分けるセグメンテーションから始まります。性年代などのデモグラ情報や価値観などの変数で消費者を分けて、セグメントの特性や規模などを検討することが基本とされてきました。現在だと、デジタルで蓄積された行動データを用いるという選択肢もあるでしょう。ただこうした方法では、消費者を分けることはできても、「どの層が獲得できて、どの層は獲得できないのか」の見分けがつきません。
極端な話、市場には「提案次第で買ってくれる可能性のある消費者」と「何をしても買ってくれない消費者」の2パターンしかありません。前者の「買ってくれる可能性のある消費者の合計」のことを、潜在市場と言います。潜在市場を定義せずにSTPを始めると、戦略や施策を決めるためのデータに、「そもそも買ってくれない人の数や意見」が混ざります。買ってくれない消費者が混ざったままで市場規模やインサイトを調査しても無駄ですし、本来買ってくれる潜在顧客への訴求力が弱まる恐れもあります。
つまりSTPを考える前に、「製品やデザインを改善したり、広告のメッセージを変えたりすることで自社が獲得できる余地のある消費者」がトータルで何人いるのか、それはどういう人達なのかという潜在市場を定義し、理解することが必要なわけです。潜在市場を見つけて定義する方法は、本記事の後半で解説していきます。
セグメンテーションの意義とよくある落とし穴
ここで一度、セグメンテーションの意義について確認しておきましょう。そもそも消費者を分ける理由は、消費者全員をターゲットしようとしても、プレファレンス(何が好きか)のばらつきが大きく同じ訴求では全員に刺さらないからです。そこで、プレファレンスが似た人を集めたグループ(=セグメント)をいくつか作り、個々のセグメント内であれば同じ訴求で刺せる状態に揃えます。これを「セグメントの同質性」と言います。
そうしたセグメントの中から1つターゲットを選ぶわけですが、ここで問題が1つ出てきます。購買行動やデモグラが同じような人を集めても、肝心の「どんな価値提案が刺さるのか」が分からないという問題です。性年代や行動が似ているからといって、買う理由や何が価値になるのかまで同じとは限らないからです。
こうした問題は、セグメンテーションした後にどうするのか、どうターゲットを決めてどう売上に結びつけるのかを事前に考えず、盲目的にSTPの順に進めている場合に発生します。その結果、セグメントを作ってターゲット像が見えた段階で、どんな提案をすればブランドが価値になるのか見通しが立たないことに気づき、別途考えることになります。そして多くの場合、ここでデータドリブンからアイデアドリブンになってしまいます。
実務ではSTPではなく、”PST”の順番で考える
S→T→Pという順番で逡巡なく進むのは、各セグメントに合わせて1から新商品を企画開発するような場合です。しかし実務では、この製品を売るための広告を作る、この機能をメインとした製品を開発するといった具合に、「売りたいモノありき」で動く場合がほとんどだと思います。このような場合は、発想を変えて「どうしたら買ってくれる人を見つけられるか」という視点からターゲットを考えたほうが建設的です。
つまり、すでにブランドが顧客に価値として受け入れられているポジションで潜在市場を定義して、それぞれのポジションの規模や収益性、競争力を比べ、最終的にターゲットを決定するという、P→S→Tの順で考えるわけです。こうすることで、潜在市場を定義すると同時に「このターゲットはこう攻めるべき」という筋道も見えてきます。ジョブを通してなぜブランドが価値になっているのか、どんな側面(便益や特徴)が価値なのかが既知であるため、ターゲットが決まった時点で訴求軸も決まるわけです。
このように、「どうすべき」というアクションまで一気通貫できて初めて、市場を分けることに戦略的な意義が生まれます。
ジョブ理論で潜在市場を理解し、ターゲットを選定する
そもそも消費者がブランドを「買う理由」は、どこから来るのでしょうか。例えば、風邪をひいていない人にとっての風邪薬は、ただのモノです。熱が出てしんどいという事情や、家族が風邪をひいた時に備えるという文脈があってはじめて、買う理由が生まれます。このことは、「ジョブ」で考えると分かりやすいかもしれません。
ジョブは、クリステンセン教授が提唱するジョブ理論の中に登場する概念で、「片づけるべき用事」を意味します。消費者は、生活の中で様々なジョブを抱えており、それを片付けるためにモノやサービスを購買する(時には購買せずに、代替品で済ませたり我慢したりする)という考え方です。
ジョブがあることで買う理由が生まれ、ジョブを解決できるブランドが購買されるわけです。ということは、ブランドが解決できるジョブを抱える人なら、提案次第で買う理由に気付かせることもできるわけです。今は買っていなくても将来買ってもらうことが期待できますし、すでに買っているなら次も買ってもらうことが期待できます。
つまり潜在市場とは「ブランドが解決できるジョブを持つ消費者の総計」と言えます。この観点に立つと、まずブランドが解決しているジョブを見つけることが先決です。その後、ジョブでセグメンテーションを行い、規模や収益性、競合優位性を比べ、最終的にターゲットとなるジョブを決定するという順序で進めます。
潜在市場を定義する実際の手順を解説
例えば、あるメンズスキンケアブランドで「20~40代男性の新規客が増えた」ということがデータから分かっているとしましょう。マーケターとしては、この新規流入のメカニズムを理解して、新規顧客の獲得につなげていきたい所です。潜在市場とターゲットは以下のように決めていきます。
<ジョブでセグメンテーションを行い、ターゲットを決める手順>
1. すでに顧客に価値として受け入れられているブランドの便益や特徴を特定する
2. ブランドが解決できるジョブの一覧を作成して規模や収益性を調査する
3. 自社にとっても最も収益性が高く、競争面でも有利なジョブをターゲットに選ぶ
この方法は、まだ開発中で商品やサービスが完成していない場合でも、商品コンセプトさえあれば受容性調査を行ってターゲットを決定することが可能です。
まず、過去の調査レポートやワークショップなどを通して、マーケターがすでに認識しているジョブを洗い出します。例えば、「ウチの商材はこういう生活場面でこう使われている」といったデータや仮説があると思いますので、そこからジョブを見つけ出していきます。
1. ブランドと消費者の意味接点からジョブを特定する
次に顧客とブランドの生活接点を調査して、ブランドの新しい使われ方や、マーケターが想定した以外のシーンでの利用方法などを探します。ブランドが使われる生活シーンのことを「生活接点」と呼びますが、その中でも特にブランドが生活上の価値に変わる接点のことを、コレクシアでは「意味接点」と呼んでいます。
意味接点の調査はマーケターも気付いていないジョブを見つけ出すのに有効な方法で、すでに顧客に価値として受け入れられているブランドの便益や特徴を、顧客体験の中で定性的に捉えることができます。意味接点とジョブは、次のようなアウトプットにまとめます。意味接点の調査について詳しくはこちらの記事 もご覧ください。
2. 定量調査でジョブのセグメント規模や収益性を評価する
これらのジョブを抱える消費者の合計が潜在市場の上限になります。マーケター視点、顧客視点の双方から洗い出したジョブは仮説の段階なので、潜在市場を数値で定義するためには、定量検証を通して各ジョブの市場規模などを検証する必要があります。定量調査では、次のようなデータも収集しておき、ターゲットを決定するための評価指標として使います。
<ターゲット決めるために用いる指標>
●性年代などのデモグラフィック属性
●自社/競合の利用率
●カテゴリ以外の代替品の利用率
●ジョブ解決対する支払い意思額
●現在の情報収集の程度、頻度
●代替行動や工夫などの自助努力
3. ターゲット決定ロジック
定量調査の結果を以下のようなアウトプットにまとめて、ターゲットとしてのポテンシャルを評価していきます。評価基準としては、ジョブを抱える母集団の規模、狙いたい客層(例:20代男性など)におけるジョブの規模、WTP(支払い意思額)、代替可能性、ホワイトスペースの大きさから、総合的に最もポテンシャルの高いジョブをターゲットとして選択します。
3-1. 母集団の規模が大きいジョブ
基本的には、母集団として市場規模が大きいジョブを選びましょう。
3-2. 獲得したい客層での市場規模が大きなジョブ
「新規獲得したい」のように、特定層での顧客拡大を狙っている場合はその客層において規模の大きなジョブを選びます。新規顧客を増やしたいなら新規層において規模が大きなジョブを選ぶということです。同様にリピーターや囲い込みをしたいなら既存顧客層、流出防止がゴールなら流出層で広く共有されているジョブを選びます。
少し話が逸れますが、新規客を狙う場合は既存客に嫌われないように、「ターゲット×メッセージ×媒体」の組み合わせを変えた方がよいでしょう。例えば、新規の若年層に向けた広告はエキナカとインターネットに集中させて、既存のシニア層はTVCMに集中投下するといったように、出し分けを検討することをおすすめします。
3-3. WTPが大きいジョブ
WTP(支払い意思額)は、ジョブ解決のためにいくらまでなら金銭を払えるかという額を表します。金銭を払ってでも解決したいペインを伴うジョブの方が、大きな収益性を期待できるため、なるべくWTPが大きなジョブを選びましょう。また、WTP以外にも、ジョブ解決のための自助行動や検索行動が見られるジョブを選びましょう。それだけ需要があるのに、解決手段となる代表的なブランドがまだ確立されていない事の表れだからです。
3-4. 代替可能性が小さいジョブ
代替可能性とは、自社ブランド以外の代替品や代替行動で替えがきくジョブかどうかです。当然、代替可能性が小さいジョブを選んだほうが有利になります。代替品で済むなら、わざわざ新しいブランドを採用するスイッチングコストをとらない消費者もいるため、なるべく代替品が存在しないジョブを選びましょう。
3-5. ホワイトスペースが残っているジョブ
競合がすでに強いポジショニングしているジョブは、切り崩すのが難しい恐れがあるので避けた方がよいかもしれません。しかし「そのジョブを解決する手段として自社のほうがより優れている」ことを示して、積極的にブランドスイッチを狙っていく場合は、ホワイトスペースの多寡に関わらず市場規模とWTPが大きなジョブを狙っていくべきです。どの競合が顧客を奪いやすいのか、どうしたら顧客を奪う競争力が高いコンセプトを開発できるのかについては、こちらの記事もご覧ください。
参考文献
クレイトン・M・クリステンセン他著、依田光江訳(2017)、『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』、依田光江訳、 ハーパーコリンズ・ジャパン
この記事を書いた人:芹澤 連(せりざわ れん)
消費者行動論や統計学、心理学、文化人類学、行動経済学など様々な分野の理論や手法をマーケティングに使いやすい仕組みへ落とし込み、事業会社や広告代理店に提供。著書に『顧客体験マーケティング』(インプレス)。